存在するとは知覚される事である

カテゴリ: 雑記
 2014//13
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いかんいかん。また放置してたようだ。
最近は知人にまで「霊圧が消えかけている」と言われる始末で、自分の存在が危うい。
存在証明と言うように、人は認識しなくなった時点でその物の存在は消滅してしまう。
これを認識世界と呼ぶんだけど、脳に蓄積された五感から得た情報で存在を識る。
目で見る、耳で聞く、手で触れる、鼻で嗅ぐ、舌で味わう、というように人は世界を認識する。
だが、認識したり、判別したりする事ができるのは極々限られたもの。
つまり認識したものしか、存在するものとしてか認める事ができない。
厳密に言えば、自分が認識した存在物と存在者で現実は成っていると言えよう。

そもそも現実とはなんだ?
以前の出来事、即ち寸前の過去としてしか、現実を識る事はできない。
何故ならば、現実は過去の再生の繰り返しでしかないからだ。
過去とはつまり、記憶。記憶は五感を始めとする感覚機能から得た情報の集合体。
現実を記憶という形で認識するにあたって、この世界を現実だと意識する。

目に見えているこの世界も、記憶の断片でしかない。
現実は証明する事はできないし、確かめられる術もない。
何もかもが、過去の記憶でしかない。
だけど、一つだけ確かなのは

自分は自分であり、そして自分が確かにいたという証明をするべく、このブログをやる事にした。

Esse est percipiエッセ エスト ペルキピ.

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